
ハーディー・ガーディーというのは貧しい辻音楽師が奏でる楽器だった。辻音楽師は家族で放浪していた。この絵で感じるのは施しの意味である。施す男性はやさしげだが、辻音楽師の家族とは明らかに超え難い壁がある。もはや同じ社会に属する者ではないのである。
だからこの作品を見るときには、施す側のやさしさよりも施される者の寂しさを感じることになる。
ミシェル・フーコーによると17世紀のパリ市では市民のうち三人に一人が乞食だった。
アンリー四世(1589-1610の在位)がパリ攻囲を計画したとき、パリ市の人口十万弱のうち、乞食が三万人以上いた 。十七世紀はじめ、経済がふたたび活況を呈しはじめると、社会のなかで定職についていない失業者を強制的に吸収する決定が出された。1606年の高等法院の法令では、パリの乞食は、公共広場でうたれ、肩に烙印がおされ、頭を剃られ、市外へ追放されるべしと定められ、彼らが立ち戻らぬように、1607年の王令では、すべての貧窮者の潜入を阻止すべき射手団が市の城門に配置された 。三十年戦争(1618-48)がはじまり、経済復興の成果もついえてしまうと、乞食と怠惰の問題がふたたび現われてきた。
(ミシェル・フーコー『狂気の歴史』1995年、新潮社、82ページ)
乞食たちは鞭打たれ、焼印をおされ、市外へ追放された。







