絵画で読み解く

民衆社会、市民社会の中を歩く

施しを受ける辻音楽師の家族

レンブラント《施しを受ける盲目のハーディー・ガーディー弾きと家族》1648年、アムステルダム国立美術館蔵

ハーディー・ガーディーというのは貧しい辻音楽師が奏でる楽器だった。辻音楽師は家族で放浪していた。この絵で感じるのは施しの意味である。施す男性はやさしげだが、辻音楽師の家族とは明らかに超え難い壁がある。もはや同じ社会に属する者ではないのである。

だからこの作品を見るときには、施す側のやさしさよりも施される者の寂しさを感じることになる。

ミシェル・フーコーによると17世紀のパリ市では市民のうち三人に一人が乞食だった。

アンリー四世(1589-1610の在位)がパリ攻囲を計画したとき、パリ市の人口十万弱のうち、乞食が三万人以上いた 。十七世紀はじめ、経済がふたたび活況を呈しはじめると、社会のなかで定職についていない失業者を強制的に吸収する決定が出された。1606年の高等法院の法令では、パリの乞食は、公共広場でうたれ、肩に烙印がおされ、頭を剃られ、市外へ追放されるべしと定められ、彼らが立ち戻らぬように、1607年の王令では、すべての貧窮者の潜入を阻止すべき射手団が市の城門に配置された 。三十年戦争(1618-48)がはじまり、経済復興の成果もついえてしまうと、乞食と怠惰の問題がふたたび現われてきた。

(ミシェル・フーコー『狂気の歴史』1995年、新潮社、82ページ)

乞食たちは鞭打たれ、焼印をおされ、市外へ追放された。

 

 

近代の人間中心主義が施されない絵画の透明感

ハンス・メムリンク《若い女性の肖像(細部)》1480年、メムリンク美術館蔵

全体図

初期フランドル派の画家の描く女性たちは透明感にあふれている。この透明感に釘付けになってしまう。どこでその透明感を感じるのだろう。

それは15世紀末に始まるとされる「囲い込み運動(エンクロージャー)」の未だに開始されていない時代であり、1492年のコロンブスの「新大陸発見」以前の時代であり、宗教改革(1517年)の始まる以前の時代に属する人間観だ。つまり近代ヨーロッパの下地が出来上がる前の時代であり、マルクスの言う「資本主義の本源的蓄積」の始まる前の時代に属する。

近代の人間中心主義が施されないと、人間の表情はこのように透明感に包まれたものになるのだろうか。

法外の値段も安い買い物だったレンブラントの作品

レンブラント《ホメロスの胸像を見つめるアリストテレス》1653年、メトロポリタン美術館蔵

1961年のニューヨークにおける競売で、メトロポリタン美術館が230万ドルという当時、1点の作品に支払われた金額としては最高の価格で買い取って話題となった作品。あまりの高額に対する批判に、メトロポリタン美術館の関係者は、金の鎖だけでもそれだけの値打ちがあると言い放ったという話がある。

オランダは近代市民社会の先駆を成した国、オランダに比べるとイギリスもアメリカもその後追いをした後発の国にすぎない。レンブラントは17世紀オランダの絵画黄金時代の頂点を極めた画家、そのレンブラント最高傑作の一つを手に入れることは、芸術においても市民社会においても後発の国だったアメリカのとって重要なことだったといえる。だから230万ドルの何倍もの価値があるのだと言外に主張したのだろう。

社会の価値観の変化を堕天使として描いたブリューゲル

ピーテル・ブリューゲル《叛逆天使の墜落》1562年、ベルギー王立美術館蔵

キリスト教における叛逆天使というのはルシファーのこと。ルシファーというのはもともと「光をもたらす者」という意味であったが、堕落することにより悪魔に変身してしまった天使のことをいう。

ブリューゲルの絵では天使たちが奇怪な生き物たちに変身していく有様が描かれている。ラッパを吹き鳴らしていた天使は昆虫のような両生類のようなモノに変身していく。

ブリューゲルの生きた時代は宗教戦争の時代であり、社会の価値観が大きく変動していく時代でもあった。価値観の変化をブリューゲルは墜落する堕天使として描いたのだ。

現代も近代という時代が終わろうとする混乱に直面している。そして様々な形態をとる堕天使たちを観ざるを得なくなっている。

時代の大きな変化という岐路に立つとき、ブリューゲルの絵に改めて向かう必要もあるのではないだろうか。

富を蓄えることが神の怒りを招く

ピーテル・ブリューゲル《死の勝利(細部)》(1562年頃、プラド美術館所蔵)

死神はランプを照らし誠実な人間を探している。しかし見つかるのは不実な人間だけだ。不実な人間たちは死神の導く馬車に轢かれる。荷車に乗っているのは不実な人間たちに搾取されていた貧乏人たちだ。荷車の上の死神は辻音楽師たちの楽器であったハーディー・ガーディーを弾いている。

画面下では王侯の蓄えた黄金が死神によって奪われていく。奪われた黄金は、荷車の中の貧乏人たちに配られるのだろう。

そのようにして神の裁きである正義が実行されていく。富を蓄えることが神の怒りを招くのだ。

嘘は必ずバレて、気まずい状況に陥る

ピーテル・ブリューゲル《ネーデルラントの諺》(1559年)から「籠から抜け落ちる」「雌鳥の卵を離さず、ガチョウの卵を捨てる」

「籠から抜け落ちる」というのは「嘘は必ずばれる」という意味。

「天と地の間にぶら下がっている」のは「気まずい状況にいる」ということ。
嘘つきなどこかの国の総理大臣は、嘘がばれて気まずい状況にいる。
だけどもなかなか辞めようとはしない。

「雌鳥の卵を離さず、ガチョウの卵を捨てる」というのは「よく考えずに悪い方を選んでしまう人」のこと。
よく考えずに喋るので、事態はどんどん悪い方向に流れていく。

油断大敵

ピーテル・ブリューゲル《死の勝利(細部)》1562年頃、プラド美術館蔵

右下に描かれた恋人たちのように、油断していると大きな不幸が襲いかかってくる。

何も知らされていないと、そのような不幸は信じられない。
けれど民衆が事実を告げられるのは、
常にもう避けられない事態になった時だ。
現在の日本もそのような状況にあるが、
知らせてくれるメディアは少ないので、
その時が来るまで、宴は続けられる。