絵画で読み解く

民衆社会、市民社会の中を歩く

富を蓄えることが神の怒りを招く

ピーテル・ブリューゲル《死の勝利(細部)》(1562年頃、プラド美術館所蔵)

死神はランプを照らし誠実な人間を探している。しかし見つかるのは不実な人間だけだ。不実な人間たちは死神の導く馬車に轢かれる。荷車に乗っているのは不実な人間たちに搾取されていた貧乏人たちだ。荷車の上の死神は辻音楽師たちの楽器であったハーディー・ガーディーを弾いている。

画面下では王侯の蓄えた黄金が死神によって奪われていく。奪われた黄金は、荷車の中の貧乏人たちに配られるのだろう。

そのようにして神の裁きである正義が実行されていく。富を蓄えることが神の怒りを招くのだ。

嘘は必ずバレて、気まずい状況に陥る

ピーテル・ブリューゲル《ネーデルラントの諺》(1559年)から「籠から抜け落ちる」「雌鳥の卵を離さず、ガチョウの卵を捨てる」

「籠から抜け落ちる」というのは「嘘は必ずばれる」という意味。

「天と地の間にぶら下がっている」のは「気まずい状況にいる」ということ。
嘘つきなどこかの国の総理大臣は、嘘がばれて気まずい状況にいる。
だけどもなかなか辞めようとはしない。

「雌鳥の卵を離さず、ガチョウの卵を捨てる」というのは「よく考えずに悪い方を選んでしまう人」のこと。
よく考えずに喋るので、事態はどんどん悪い方向に流れていく。

油断大敵

ピーテル・ブリューゲル《死の勝利(細部)》1562年頃、プラド美術館蔵

右下に描かれた恋人たちのように、油断していると大きな不幸が襲いかかってくる。

何も知らされていないと、そのような不幸は信じられない。
けれど民衆が事実を告げられるのは、
常にもう避けられない事態になった時だ。
現在の日本もそのような状況にあるが、
知らせてくれるメディアは少ないので、
その時が来るまで、宴は続けられる。

人形使いの人形に踊らされる子どもたち

河鍋暁斎《鳥獣戯画》(1879年頃)より「人形使い」

人形使いの人形に踊らされて、子どもたちが踊っている。

今の日本も人形使いの人形に踊らされて、多くの国民が踊らされている。

行く先に何が待っているのか、子どもたちは知らない。

教えてくれるべきメディアが教えてくれないのだ。

舵とる者もなく阿呆船が出港する

アルブレヒト・デューラー《阿呆船》(1494年)より「勇んで航海する愚者たち。船は舵もとれず、波に揺られるだけ。」

愚者が乗り込む阿呆船。舵を取るものもおらず、大海原への航海に乗り出す。

みんな呑気に船旅を楽しんでいるが、ちょっと時化るとすぐ転覆だ。

沈むのが怖くないのだろうか。

航海に幸あらんことを祈る。

葡萄酒の樽が空になると大変だ

 

ピーテル・ブリューゲル《ネーデルラントのことわざ》より「雌豚が樽の栓を抜く」1559年、ベルリン絵画館

「雌豚が樽の栓を抜く」ということわざは、
「無視していると恐ろしい結果になるもの」の意。

どこかの国の総理大臣も、備蓄した石油の補充をすることもなく、
ジャンジャン使いなさいと石油の値上がり防ぐのに一生懸命だ。
樽が空になるとどうなるのだろう。

ありのままの姿を知ることのできないメディア

ピーテル・ブリューゲル『幼児虐殺(細部)』1565〜67年頃、イギリス王室コレクション

ブリューゲルは新訳聖書の幼児虐殺のエピソードをもとに
スペイン軍によるネーデルラントでの住民虐殺の様子を描いた。

しかし絵の中の幼児虐殺のシーンはほとんどが別人の手によって描き直された。

この絵の右側ではスペイン兵が死んだ白鳥か鵞鳥をぶら下げているが、
これは死んだ幼児の姿を描き直したものだ。

絵の左側ではスペイン兵が死んだ幼児をぶら下げている。

おそらく描き直しから漏れた部分なのだろう。

現在の日本は経済破綻とともに軍国主義化に邁進している。

しかし主なメディアはありのままの姿を描こうとはしない。

何が起きているのかを人びとは知ることができないのだ。