
有名な『ネーデルラントの諺』の1年前に、『12の諺』が描かれている。
それぞれの諺には、銘文がある。
「飲んで遊ぶ」の銘文は次のようなものだ。
すでに酩酊している時でもなお酒を飲み続けることは、貧困につながり、名を汚し、ついには破滅へと導く。
宗教改革の時代に、プロテスタントとカトリックが争うネーデルラントでは、酒に溺れる人たちが出てきたのだろうか。
柳田國男によると飲酒の目的は酩酊することにあった。年に数度の祭りなどのハレの日に酩酊するまで飲酒することが他者と融和する宴会の姿だった。
酒は飲むとも飲まるるなということを、今でも秀句のごとく心得て言う人があるが、実際は人を飲むのがすなわち酒の力であった。客を酔い倒れにし得なかった宴会は、決して成功とは言わなかったのである。
(柳田國男『明治大正史世相編』「酒を愛する社交」)
しかし酩酊を禁じられるようになると、他者との融和は不可能なものとなり、人間は絶対的な孤独に据え置かれることになる。孤独の中で視えない他者との融和を求めるようになると、人は酒に溺れ、酒にコントロールされるようになる。
宗教改革時のネーデルラントでは、そのような孤独が人間を襲うようになったのだろうか。